「GODZILLA 星を喰う者」を見てきてゴジラ脳な白色黒蛇の世迷言
「GODZILLA 星を喰う者」観て参りました。
これで去年11月より3部作で公開されたアニゴジが完結、全て観てきたあたしは
「いやぁ、面白かった」
と満足に思っとります。
しかしこのアニゴジ、公開前も公開中も公開後もそこそこ批評の嵐に襲われておりました。
まぁ理解はできます。怪獣同士の熱いバトルを期待していたのなら期待外れでしょうし、宇宙人や荒廃した地球に残った人類の末裔とゴジラ以外の要素がモリモリ。ゴジラの存在感が薄れるとは言わずともゴジラ以外の自己主張が強すぎるのは確かです。
けれどですね。
「史上最大、史上最強のゴジラと相対するのが今まで通り自衛隊や軍隊で良いんですか?」
あの最強のゴジラと相対するなら最低限人類側もそれに見合う化学進化を遂げてなければお話にならないでしょう。
なので、あのモリモリのSF設定は当然必要だったと思います。
さてさて、そんな訳で今白色黒蛇はゴジラ脳に染まり切っておりますため
今回はいつもと趣向を変えて「白色黒蛇のゴジラ論」を語っていこうと思います。
・「そもそも、ゴジラって何?」
怪獣? それとも「生きた災害」? それとも「松井秀樹」?(笑)
いろいろ解釈はありましょうがあたしはこう思っております。
「因果応報の象徴」「人類に下される刑の執行者」
歴代のゴジラシリーズも「シン・ゴジラ」も果てはハリウッドの「GODZILLA」もゴジラの誕生の経緯は原子力に由来するものでした。
原子力=人類の罪科
ちょぉっと過大と捉えられるかもしれません。
原子力も使い方次第、ナイフと同じで非常に危険で非常に有用なものです。
ですがこれあくまで「人類の理屈」なんですよね。
「自然」「環境」「人類以外の動植物」からすればほとんど迷惑以外の何物でもない。
人類以外の物から言えば「原子力なんか見つけやがってコノヤロー」って怒るのは当然至極でしょうよ。(関係ないですがそういえばゴジラシリーズの中には公害で生まれた怪獣もおりましたよね?)
「自然」さんは人類の罪科を材料にゴジラと言う怪物を生み出し、破壊の限りを尽くす。これがゴジラ映画です。それを目の当たりにした人類は当然抵抗します。
が、大抵うまくいきません。ゴジラ映画ですから。(シン・ゴジラだって結局アレは「問題の先送り」あたしに言わせればある種「執行猶予」だと思ってます)
しかしこれは当然のこと、だってゴジラは
「人類の罪科」から生まれた「人類に下される刑の執行者」
なのです。
勝って良い訳が無いんです。
人類がゴジラを倒す=人類が犯した罪を踏み倒す
ってなっちゃうわけですから。
ゴジラは人類にとって因果応報の象徴、人類が自然、地球に対してやってきたことへ地球なりの仕返し、天罰なんです。
だからゴジラは死んではいけません。我々の星、地球の意思を踏み倒すと言う更なる大罪に繋がるからです。
※ここから先、これを踏まえて「GODZILLA 星を喰う者」についてネタバレを含めて感想や思ったことを言っていきます。これから「GODZILLA 星を喰う者」を見る予定だけどまだ見てない。純粋にネタバレは嫌いやねん。そういう方は閲覧をお控えくださいますよう
まずこの「GODZILLA」ですが1,2部作はざっとこんな構図
1部「怪獣惑星」:勇気と知略でゴジラに挑む=ダメでした。
2部「決戦起動増殖都市」:自分たちがゴジラを超える脅威になってゴジラに挑む:ダメでした(ダメにしました)
これに続く完結編第3部は
3部作で一番ひでぇ対抗手段だなって思いますね(笑)
エクシフ教(仮)にすがり「他力本願」に狂っていく仲間たち。
その異様さにドン引きするマーティンら。
ハルオは「どういうつもりなんだ」とメトフィエスに問い詰めます。すると
着々とゴジラを倒せるらしい手段のために準備するメトフィエス。
「このままじゃいけない」と苦難し、肝心のゴジラに対しては「あんなん無理や、倒せん」と半ば諦めかけるハルオの前にミアナはこう言います
勝ち=生きること、命を繋ぐこと
負け=死ぬこと
この理屈ですが「ゴジラ倒すのってそんなに大事か?」って問いかけにもなってる気がしました。実際ゴジラと共生する形で生きてきた人類の末裔からすればゴジラを倒さずとも何とかなってたわけですからこの理屈は当然ですね。
そしてミアナのお姉ちゃんマイナはこの理屈を文字通り「躰を張って」ハルオに教えます。
(このシーンマジで絶句した)
そんなこんなでメトフィエス率いるエクシフ教はギドラを呼び出しました。
ギドラは手始めに人類の母船アルトラム号を沈めます(ここ織り込み済みなところエクシフ教のイカれっぷりが良く分かる)
その後ゴジラとの戦いに入っていくのですがここはまぁ省略します。
あの迫力のバトルやギドラの規格外っぷりはやっぱり実際に見て頂きたいので。
で、ギドラを絶対の存在とするための大詰めとしてメトフィエスはハルオをエクシフ教に勧誘します。そこでメトフィエスは
「滅びこそ救いだ(要約)」と口にすると。
エクシフの母性をも滅ぼしたギドラですが、
なんとこのエクシフって種族は「星を巻き添えに種族丸ごと一斉自殺」してたってわけで。
エクシフ教やっべぇ。
まぁ巧みな幻術と話術でハルオを勧誘するメトフィエス。そこからミアナが救い出そうとするのですがここで「アイツ」がちらっと出てきます。
ここは盛り上がりましたねぇ。
そしてなんやかんやあってメトフィエスの誘惑に打ち勝ち、メトフィエスを拒絶。
それにより(ここは本編を見てネ)ゴジラも――
ここまでにしときましょう。ここから先は本編で。
さてさてこのアニメゴジラ3部作、ハルオの成長物語とする感想が多いのですがあたしはこう思っています。
「因果応報の象徴、人類の天敵「ゴジラ」に対して人類はどう接していけばいいのか?」
って言うのが1本テーマになっているんじゃないかと。
地球と言う惑星が作り上げたゴジラと言うものに対して「憎悪」をもって敵対するか。「乗り越えるべき壁」と捉えて克服を試み、自分の進化の糧とするべきか、それともそれとも――
現代を生きる我々にとって「天敵」との付き合い方を考えなければならない時だってあるでしょう。嫌いな上司、やりにくい取引先、苦手な科目のテストなどなど……
でもそれらの天敵って(必ずしもそうとは言えないけど)自分がその相手に対して苦手意識を強めて「天敵にしてしまっている」ところはありませんでしょうか?
自分が生み出した天敵、それとの付き合い方を「嫌いだから」「苦手だから」とおざなりにすることは決して正解ではない。
ってのをゴジラと人類に置き換えて訴えてきている様に見えました。
さてさて、あなたは「ゴジラとどう付き合いますか?」
・最後に
物書きらしからぬgdgdな文章で申し訳ありません(今さらか)
如何せんアニゴジを見て余韻に浸りながら酒飲んでほろ酔いになっている状態で書いたんでねw
あたしが作った作品の宣伝だけじゃなく、たまにはこういうアニメ、映画、舞台の感想なんかも語っていこうと思いますんで何卒これからもよろしゅうお願いします。
それではそれでは、お相手は白色黒蛇でした~